逗子は鎌倉に近い性格上、鎌倉時代の遺構がちょいちょいあったりします。
今回ご紹介する六代御前の墓もその一つです。
六代御前って誰やねん?と思って調べてみると、平維盛の嫡男で高清という人でした。平正盛から数えて6代目なので「六代御前」。昔の人は呼び名がたくさんあって、ややこしいですね。
逗子景勝十選の一つだというので、どんなものか訪ねてみました。
普段は気に留めていませんでしたが、そういえば田越川沿いに「六代御前まえ」というバス停があります。逗子駅から葉山方面へ、海回りのバスに乗って10分かからないくらいの場所です。
振り返ると、もうそこにはお墓が。。。
と思ったら、早とちり。これは故址でした。
そこから1分くらい歩いたところに、六代御前の墓はありました。
六代御前は平家物語で悲劇の人として書かれています。
平安末期、源平の戦いに敗れて平家が滅亡する際、京都で囚われの身になった六代御前でしたが、文覚上人という坊さんが頼朝に嘆願したお陰で命を救われました。
ところが、頼朝が死に、文覚上人の求心力が衰えると、平家の嫡男である六代御前は再び捉えられ、ここ田越川畔で処刑されたのでした(享年26歳)。